レモンサワー
富士見湯日記 *1 より。
2011年 7月10日 晴れ
今日は日曜なのに、斉藤さんしかいない。
いつも日曜日は、歌の同好会の人々が集まり、平日とは打って変わって二階は大盛り上がりになる。だけど今日は、まるで平日のようだ。それも悪いときのよう。
斉藤さんが、誰に言うでもなく、
「あー、さみし」と、私の座る受付のすぐ前で呟いた。
斉藤さんは、若い頃は歌手を目指していたという、演歌のとても上手な、笑顔が朗らかなおじいちゃんだ。普段から可愛い愛嬌のある声をしていて、周りの人たちを和ませている。
私は斉藤さんの歌う「はぐれコキリコ」や「まつり」が大好きで、斉藤さんが舞台に上がると、よくキッチンの低いドアの上から顔だけ出して見ていた。
そんな斉藤さんが、今日はひとり寂しそうにしている。
わたしはなんとか励まそうとした。
「多分そろそろ、サブちゃんが来ますよ」
「いつも歌、楽しみにしてます」
などと、声をかけ続けた。
斉藤さんは聞こえているのかいないのか、たまにこっちを向いて笑顔でうんうん、と頷いてくれた。一体どっちが励まされているのか分からない。わたしは、斉藤さんの笑顔を見ると、何故かとてもほっとするのだ。
「へえ!あんた、ちぐさちゃんっていうのかい!」と声をかけてもらった時は、嬉しかった。
「そうなんです!」と私は、はしゃいだ。
斉藤さんは、「そうかいそうかい」と言って、とてもいい笑顔を向けてくれた。やっと認識してもらえた。と、ファンのような気持ちだ。
でも一ヶ月後くらいに、また同じやり取りがあった。
斉藤さんはいつでも、夏はレモンサワー、冬はお湯割りを頼む。斉藤さんがレモンサワーをやめてお湯割りを頼んだ日は、ああ、季節の変わり目なんだなあと思う、と誰だったか、バイトの先輩が言っていた。
いつも、みんなの話を笑顔でうなずき聞いている斉藤さんだけれど、今日一緒にいるわたしはあまり話す方ではないからか、この日は斉藤さんの方から、ぽつり、ぽつりと話だしてくれた。
富士見湯で、昔は喧嘩ばかりしていた話。生活するのが大変で、仕事に行く前の早朝、新聞配達をしていたときの話。それと、活版印刷会社で働いていたときの話をしてくれた。
活版印刷の話が盛り上がり、最後は、「このソファーはシアンが何パーセント」「そこに白を何パーセント混ぜるとこの色になる」と、色当てゲームのようになってきて、受付から身を乗り出して話を聞いていた私は、気づいたら斉藤さんのとなりに座っていた。
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*1:※「富士見湯日記」とは……せんと♨︎ガールの学生時代のアルバイト先、「富士見湯ケンコー銭湯」での出来事を日記に綴ったものなのです。(銭湯の名前をクリックすると、地図が出ます。)