せんと♨︎ガール

美大出身の「せんとガール」が、昔ながらの銭湯をめぐる。(主に東京) 

北上夜曲2

富士見湯日記 *1 より。

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「いやー、普段から歌い慣れてる人の歌い方だよ」
歌い終わっておじぎをし、舞台から降りると、田中さんがほめてくれた。
「もっと歌ってよ。良い声してるよ」
「そ、そうですか?」
おだてられて、いよいよ調子に乗ってきた。

他にお客さんが来ないのをいいことに、1、2時間、田中さんと交代で歌い合い、ひとしきり二人で楽しんだ。自分でも予想だにしなかった出来事である。

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夜10時近くになって田中さんは、「おお、もうこんな時間か」と言って、上着をはおった。
「北上夜曲、覚えとけよ。」と言い、帰り際「ほれ」、と千円札を握らされた。
そして、じゃあまた、桜の花びらが散る頃にな。と田中さんは言い残し、手をひらひらさせて、階段を下っていった。
消える田中さんの背中を見届け、ふうと一息ついた。

 

わたしは、カラオケカードの裏に「北上夜曲」とメモをして、エプロンのポケットに入れた。
食器や空き瓶を片付け、机を拭き上げ、食器を洗い、空き瓶をカゴに入れた。

それから座敷に戻ってくると、田中さんが床に四つん這いになっていた。
「あれ、どうしたんですか?」「いや〜、鍵が無くてさあ…」
田中さんは、下駄箱の鍵を無くしたらしく、 さっきまで使っていた机の下を覗き込みながら言った。
「無いなあ」
「ポケットとかに入ってませんか?」
「いや〜さっきも探したんだけどさあ〜」と、困ってもなさそうな口調で言いながら、田中さんはゆっくりと上着のポケットを探ると、下駄箱の板鍵が出てきた。

田中さんはほんのり笑顔を見せた後、ふたたび階段を降りて行った。

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 北上夜曲

 

 

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*1:※「富士見湯日記」とは……せんと♨︎ガールの学生時代のアルバイト先、富士見湯ケンコー銭湯」での出来事を日記に綴ったものなのです。(銭湯の名前をクリックすると、地図が出ます。)